弟の死を乗り越えて慰めといやしの歌声を
 NHK教育テレビの「歌のお姉さん」として活躍し、現在は福音歌手として教会を中心にコンサート活動をしている森祐理さんは、その笑顔の裏側に辛い過去を背負っている。
 予想だにしなかった地震、水害などの天災や事故、テロによる無差別殺人・・・。そのようにして人の命があっけなく奪われていく陰で、どれほど多くの涙が流され、魂が痛んでいることだろう。
 1995年1月の阪神・淡路大震災で、弟・渉さんを失った森祐理さんもその一人だった。渉さんは、2ヵ月後には大学を卒業して新聞社に入社することになっていたのだが。「丸太ん棒のように変わり果てた弟の亡骸と対面して、私に胸にも丸太ん棒で突き抜かれたかのように大きな穴があいてしまい、しばらくの間、悲しみすら感じることができないほどでした」と回想する。
 でも神さまは弟の死を無駄になさるはずがない。その信仰に支えられて、嵐にような日々をくぐり抜け、立ち直っていった。「希望を奪われた被災者は、目の前に救援物資を山積みされても、食べようとする気力や、生活を立て直そうとするエネルギーは湧いてきません。でも歌には、そんな人々の心をいやし励ます力があります。それを、私と同様悲しみに打ちのめされた人々と分かち合いたかった」
 心に湧いてきたそんな願いを込めて被災地に足を運んでは、協力者たちとともに「希望の翼コンサート」を何度も行った。第一回は雪の降る日で、炊き出しの長い列の前で歌った。人々は、最後には手拍子を取り一緒に歌い出し、泣き笑いの渦が巻き起こり、「アンコール、アンコール」の大合唱となった。必ず歌うことにしているのは、弟・渉さんの葬儀で歌った「遠き国や」(聖歌397番)である。『遠い国や海の果て、いずこに住む民も見よ。慰めもて変わらざる、主の十字架は輝けり。(中略)ゆれ動く地に立ちて、なお十字架は輝けり』
 この大地や社会がどんなに激動・激変しても、絶対に揺るがないものがある。それは、キリストが十字架の上で私たちのために死んでくださった、それほどまでの愛である。この愛は私たちの悲しみを喜びに、苦しみを笑いに変えることができる。この愛を示すために、キリストは2000年前、クリスマスに降誕なさったのだった。
 この曲から、神さまの慰めと力がほとばしり出てくるようで、聴いている人たちの顔は生き生きと輝き出した。多くの人々が「森さんの歌を聴いて、もう一度頑張ってみようという気力が湧いてきました」と語っている。「心の傷が一番いやされたのは、むしろ私でした。この1995年ほど、歌が大きな意味をもって私を勇気づけ、支えてくれた年はありません」としみじみ振り返る。
 小学生の時に教会学校に通っていた森さんは、18才で洗礼を受け、今もクリスチャンとしてその人生を歩んでいる。被災者だけでなく、刑務所や養護施設など、人一倍慰めを必要とする人たちの前で積極的にコンサートを開催している森さんの心の奥には、死という人生最大の悲しみにも慰めを与えることのできるイエス・キリストの愛への確信があるのだと思う。

© 2016 UtsunomiyaBBC | 宇都宮聖書バプテスト教会
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